お客様と一緒に感動する仕事をしたい。
そう思い続けることが私たちの存在価値です。
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事業内容
電子ディスプレイ関連事業
電子機器のOEM設計・生産
設立
- 1998年6月
- ケニックシステム個人創業
- 2003年3月
- 有限会社ケニックシステム創業
ごあいさつ
創業以来、私たちは常に第一線の設計技術者とのコラボレーションを目指してきました。厳しさを増す今の時代だからこそ必用とされている事は、たくさんの引き出しを持った技術者同士のコミュニケーションではないでしょうか。そのご要望にお答えするために、柔軟で多角的な提案をさせて頂きたいと常に心がけてきました。お客様と一緒に感動する仕事をしたい。そう思い続けることが私たちの存在価値であると確信しています。代表取締役 太田研一
沿革
1998年6月1日 | 「ケニックシステム」を太田研一1名で個人創業。 |
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同年7月 | 岡山県ベンチャー育成事業「ヤングエジソン」のオブザーバーを引き受ける。 |
1999年4月 | オリジナル商品 カラーLCDコントローラ開発完了。 京セラ株式会社様のご指定を頂いたことからLCDコントローラの開発を加速させる。 |
同年6月 | 水島のM社様のリチウム電池の事業開始に伴う研究開発を一緒にスタートさせて頂く。 |
2000年2月 | 日立製CPUのSH-2で液晶表示部を簡単に開発できる専用スタータキットを開発完了。 |
同年6月 | LCDコントローラ関連製品の代理店販売を開始。 |
同年11月 | 東京ビックサイトへLCDコントローラシリーズを初出展。 |
2001年3月 | 事業拡大に伴い、岡山市南区に事務所を移転。 |
2003年3月 | 「有限会社ケニックシステム」を設立。社員5名でスタート。 |
同年4月 | 岡山理科大の客員講師として就任。約6年間務めさせていただいた。 |
2004年1月 | CQ出版の専門雑誌の特集記事を初めて執筆。 |
2007年3月 | 東京オフィス開設(御茶の水駅近く)。 岡山事務所は本社工場とする。 |
2008年5月 | 米Lattice社が弊社のビジネスに大変興味を持って頂きノーマーキング品を出荷して頂く契約を締結。 |
2009年5月 | タイニーアクセラレータで、新しい液晶組込の世界を提案。 |
同年11月 | リーマンショックの影響で売り上げが大幅減。 |
2010年11月 | 売り上げV時回復。 |
2011年6月 | N社向け超精密レーザーダイオード出荷検査装置のドライバと計測部を全面受注。 |
同年10月 | 東日本大震災でふたたび業績が落ち込む。 |
同年11月 | 水島のM社で得たリチウム電池の知識をもとに別の研究機関向けにBMSを開発。 以降、この種の業務が増加していく。 |
2012年5月 | レーザーダイオードの量産用検査装置を開発して供給開始。 |
2012年11月 | 金属探知機、重機、船舶、医療機器などLCDコントローラのご採用が急増。 |
2013年2月 | C&Cの研究開発を本格的にスタート。 |
2015年5月 | ハイパワーLEDの検査装置を開発して供給開始。 |
2015年8月 | 東京オフィスの部屋を拡張し、ショールームを作る。 |
2016年8月 | スマホのカメラ部分の検査装置にLCDコントローラをご採用頂き大口注文がスタート。 |
2020年1月 | コロナ禍となり半導体の需要急増によって激しい供給トラブルが始まる。 |
2022年12月 | C&Cの特許出願が登録となった。 |
(代)太田研一 履歴書
生年月日 | 1957年4月6日 |
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1962年4月 | 水島慈愛幼稚園入園 好奇心のかたまりのわんぱくな子供でした。 |
1964年4月 | 倉敷市立第四福田小学校入学 理科が好きなちょっと変わった子供でした。 |
1970年4月 | 倉敷市立水島中学校入学 ブラスバンド部で頑張りました。 |
1973年4月 | 国立津山工業高等専門学校入学 文化祭で電気科の展示ブースを企画。後輩との共同作業の醍醐味を味わう。 国立高専のしくみと講義内容に強い疑問を感じ、 図書館で専門を独学しながら急遽民間企業人の仲間入りを希望。 |
1978年4月 | OG技研株式会社入社(医療機器製造販売) 福岡営業所へ営業として配属。約6年医療機器の営業・サービスを経験する。 赴任早々ディーラに裏切られ営業の難しさを知る。 一方技術系出身者としての強い危機感からマイコンの勉強をスタートし、Z80のアセンブリ言語をマスター。 世界初のEpson24dot漢字プリンタを個人購入してドライバソフトを作成する。 |
1984年9月 | 名古屋営業所へ転勤。 約半年、医療機器の営業・サービスを経験。販売ノウハウや顧客指向の地域格差を痛感する。技術者として生きていくつもりが、こんなはずではなかったと大きな挫折を味わっていたところ、奇跡的な転属依頼を勝ち取る。 |
1985年4月 | OG技研株式会社本社技術課へ転勤。 約5年、医療機器のマイコン化を推進。 フロンティア精神を発揮し、納得のいく仕事を通じて、はじめてまわりから認められる結果が出せた。 |
1989年4月 | OG技研株式会社本社開発部へ転属し、引き続き設計業務に従事。 若手の指導に当たる傍ら、新規マイコンの採用とソフト設計手法の社内規定を確立。 特許戦略の教育を受けその方面に興味を示す。 主に、リハビリテーション用筋力測定器の新規開発を手掛ける。 また、FM音源の演奏エンジンをワンチップマイコン向けに開発。 時代は感性に訴える商品開発が求められている。 との勝手な解釈で作曲にまで手を染めたのでまわりから非難を浴びる。 但し、これは後に商品へ搭載という形でおおいに報われることになる。 |
1995年4月 | OG技研株式会社本社開発部でプロジェクトリーダー・企画関連業務に従事。
主に、低周波治療機関連の企画開発プロジェクトを率いる。 サブテーマとして遠赤外線の新製品企画を立ち上げ、発売に漕ぎ着ける。 市場調査、カタログ・取り扱い説明書作成、PL対応、 営業マン教育、販促資料作成、等商品開発全般を経験できたことは非常に大きな宝となる。 通産省発明表彰受賞。 |
1996年4月 | 岡山県ベンチャー育成事業「ヤングエジソン」一期生の顧問を2年間勤める。 |
1997年4月 | インターネット、イントラネットの社内構築の顧問を勤める。 NECからの取材に応じ同社のホームページに掲載される。 |
1998年4月 | 勤続20年表彰受賞。 |
同年5月末 | OG技研株式会社退社。 |
同年6月1日 | ケニックシステムを個人創業。 |
販売代理店
タクミ商事株式会社
〒163-1129 東京都新宿区西新宿6-22-1 新宿スクエアタワー29階
TEL (03)3343-9630(代)
FAX (03)3343-9621
URL http://www.takumic.co.jp
株式会社西日本常盤商行グループ窓口 岡山営業所
〒702-8054 岡山市南区築港ひかり町3-2
TEL (086)239-8791(代)
FAX (086)239-8792
E-mail s-onishi@tokiwa-west.co.jp
URL http://www.tokiwa-west.co.jp
森川工業株式会社 東京支店
〒110-0005 東京都台東区上野3-15-8 織戸ビル2階
TEL (03)3831-8498
FAX (03)3835-9275
URL https://www.morikawakk.co.jp
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